まいどっ!

 株式会社QVALのムシマルです。

今回は「僕らが配るモノ」について

お話しますね。

 

毎日、1年365日、QVALのスタッフは

皆様へお届けする荷物(商品)を運び、 配っております。

 

配達時に注意する事

 

自身の仕事の先に必ず人がいます。

目の前の「お客様」

或いはこの仕事の先の「誰か」を思い、

僕は、僕たちは、いや、きっと皆さんにおいても、

仕事を気持ちよくこなす意味でも、

目には見えない

3つの「配る」を実践していますよね?

 

目には見えない何を「配る」?

 

そう、

「目を配る」「気を配る」「心を配る」です。

 

海外にも、これらを表現する言葉は、確かにありますが、

日本は、とりわけ日本の文化は、

こういった部分での感性は研ぎ澄まされています。

 

目配り、気配り、心配りを「行う感性」、

逆にそれらの施しを、受けたと「感じる感性」もすさまじく研ぎ澄まされた国民性を、

私たちは誇りに感じると同時に、

「施しを受けなかった」

と感じてしまう弊害にも悩まされたりしますよね?

 

目配り、気配り、心配りのような「施し」は、

期待したり、求めるものではなく、元来は

もともと無いままに進む流れに「施す」もので

そもそも無かった事。

 

有り難い(あり得ない)事への驚きと、

感謝の気持ちが

「ありがてえ」「ありがとう」と変遷しました。

 

みなさんは、「目配り、気配り、心配りの違い」って分かりますか?

 

日常において、何気なく、違いを感じはするが、

意識して使い分けているわけじゃない・・。

これらの言葉の微妙なニュアンスの違い。

 

「配る」が会社名ですので

頑張って調べてみました。

 

まずは、「目配り」

 

「色々な所に、注意を行き届かせること。」

それは自身の目の届く範囲だけでなく、

注意が行き届くすべてにおいての、

環境の変化、人の反応、不備の検出、先の予測などにおいて

細かな変化に気付くことです。

 

あなたの身近にも、普段私達が気が付かないような

細かな行動や変化に素早く気付き、

さりげなくも解決する方いませんか?

 

あなた自身も、時に意識して

その役割を担う場面に身を置き、

ピリピリとアンテナを張った緊張感の後

「はー、疲れた!」ってことあるはず・・・。

 

目配りは「気づきの促がし」でもありますが、

必ずしも直接的行動を表すものではありません。

例えば、あなたが気付いた「何か」を

表情一つで回りのみんなに知らせ、

気付きを与える事も出来ます。

 

街中で空を見上げ、不安げな表情を作れば、

それに気付いた周りの人は、雲行きに注意を払います。

 

無言の注意喚起

 

大なり小なり、身近にはこんな場面がいっぱいありますね?

無意識でも、自身の利益だけでなく、

周囲のひとをホッとさせることは

「目配り」が起因して派生し、増幅し、安心と笑顔をもたらすものです。

 

次は「気配り」

 

「あれこれ気を使うこと。思いやり」です。

相手が次に行動をする事を察知し、

相手の為に行動することが気配りです。

「この方は次にどのような行動をするかな?」と考え、

ほんのちょっと先の、相手の為の「何か」を、

さりげなく「施す」

 

さりげなくですよ。

 

サービス業においては

この「気配り」が大事です。

 

「えっ?心配りは目指さないの?」

 

はい。

 

「心配り」は施された側が「感じるもの」

施す側が目指したり

過剰に意識した時点で

ただの押し付けサービスに成り下がります。

 

何気ない気配り程度の事だったのに、

相手の方にはいたく感激的なものであれば

その気配りは「心配り」に昇華します。

 

最後に「心配り」

 

「相手の立場、目線で気を遣った配慮、行動」です。

「気配り」は、自分の立ち場で考えて行動します。

 

マニュアルだから・・

店の、会社の決まりだから・・

 

と、形式的に行う事だってあります。

 

「ああ、そういうマニュアルなのね」

と感じる場面は日々の買い物等でも

数多く出くわします。

 

私たちは、

「形式サービス」に麻痺していませんか?

ありきたりなサービスはお腹がいっぱい。

もう驚かなくなってしまった。

形式的、マニュアル的なサービスは、

均一のサービスレベルを確保しますが、

正直、それ以上のサービスレベルは見込めません。

 

マニュアルを実行する方も

画一的なサービスを

自身の行う「施し」であると思えず、

気持ちが入らない。

 

そして、何よりも、施される私たちが、

「ありがとう」と言えないから。

言わないから。感じないから

感情のキャッチボールが成立しないのだと

僕は思います。

 

確かに

いかにも「やらされているサービス」に

「有難み」はありません。

 

予定調和の「気配り」は、

当たり前の出来事にしか過ぎなくなってしまった、

とも言えます。

決まり、予定、予想の範囲の中での出来事に

感動しますか?

「有り難い」と思いますか?

きっと、感動もしないし、有難くもない。

 

相手の行動の「何が」心を揺さぶり

「心配り」を受けたと感じるか・・

 

これは、驚くことに

ルールやマニュアル、法律、しきたり、固定観念とかイメージ、などなど・・・

これらの持つ「枠」の外側で起こり易いのです。

 

総じて言いますと、「常識外れなコト」

 

あなたの常識を「破る、超越する」ことに

感動が起こり、感謝する、という事が、

実際に多くあります。

 

「そんなこと、マニュアルにはないだろうに・・」

 

ルールを超えた行動に

ルールを冒してまで自分の為にしてくれた

勇気、覚悟を感じることにより

感謝、感動が生まれる事、多くありませんか?

 

きちんと目を見る。笑顔で心を込める。声を掛け合う。時には、ルールを逸脱する、超越すると
「有り難い」感情が生まれます。

 

本気の施しを受けたと感じる事。
それを「心配り」といいます。

 

これは、僕自身の勝手な解釈ですから

あまり鵜呑みにしないで下さいね。

 

目配り

 

  気を付ける、気付く

具体的な行動は伴わないが

いち早く察知する意識が必要

 

気配り

 

気を使う、思いやる

目配りにより察知し

具体的な行動に出る。

 

心配り

 

気を遣う、寄り添う

気配りより一歩踏み込む行動

ひとつ間違えたら「お節介」となる

 

歴史ではあまりに有名な織田信長と豊臣秀吉のエピソードで

「懐で温めた草履」のハナシご存じですよね?

真偽も含めて諸説ありますが、信長の草履を懐で温めておき、草履を履く直前で差し出し、

信長が「あざとい奴だが、機転の利く奴だ」

と言ったか言わなかったかのくだりです。

 

信長に仕える身分、主人(信長)が、もうすぐ草履を履くであろう状況を<察知する意識の高さ>が

目配り=察知する

 

信長が草履を、「さあ、間もなく履く状況だ」と、絶妙の「間」(タイミング)で、往く先に草履を差し出すのが

気配り=察知し、具体的な行動に出る

 

それは寒い時期だったのでしょう。

草履を履いた信長は、冷たい筈の草履が温かい事に気付きます。

心配り=行動の真意に気付き、感動を与える。

 

絶妙のタイミングで草履を出すだけでも充分です。

でも、その草履が温かい事が、感情を揺さぶる。

予想の先を往く「有り難い」出来事。それが目標です。

 

ただし

温めた荷物を渡すような

気色の悪いことは致しません

ご安心ください。

 

どんな仕事でも、誰が相手でもいい。

「配る意識」を持つ。

できないこともあっていい。

出来ることをきっちり、丁寧にこなす。

 

QVALの信条

 

「正しく、注意深く」は

そんな想いから掲げた

「僕たちが運ぶモノ」をシンプルに掲げました。

 

きちんとした気配りを具体的に行える

配達集団を目指して

日々の業務に取り組むことを

皆さんにお約束いたします!